大学受験に失敗したことを全く後悔していない理由 

  • 2020-05-25
  • 2020-05-25
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現役で落ち、浪人でも落ち…。大学受験には苦い思い出しかありません。

しかし、失敗して心底よかったと思っています。

確かに、倒れるほど頑張った受験勉強が直接的に報われなかったことは悔しかったけれど、結果として、私はあの時志望校に行かなくてよかったと思っています。

全く興味のない大学に進学した経緯

最終的に国公立の外国語大学に落ち着いたのですが、元々の志望分野では全くなかったです。葛藤の多い十代を過ごした経験を活かしたいと、臨床心理の分野を志望していました。高校では文系を専攻していて、文系で受験できる、且つ、国公立の大学って日本で一つしかないんです。

京都大学。
そそり立つ壁でしかない。だが狙えなくもない。(学区内トップの公立高校に通っていて、偏差値はまぁまぁ)

そもそも大学に進学しようと決めたのも遅かったのです。もともと舞台女優を目指して、高校2年の終わりまで舞台活動に励んでいたので、周囲はびっくりどころか、進学したいということすら信じてもらえなかったです。しかも京都大学?あほちゃうの?この子大丈夫?みたいな反応でした。

応援してくれたのは、バレエやダンスの先生だけでしたね。
「それくらいの目標じゃないなら応援できひんわ、舞台やめんねんからその分がんばりや」とのことでした。これはやって見せつけるしかないと、意気込んだのを覚えています。

それから猛勉強して、倒れるほど勉強して、周囲の反応もだんだん変わっていきました。現役ではあっさり落ちてしまい、もともと浪人覚悟の受験だと思っていたので、もう一年頑張ることに。

なぜ外国語大学英語専攻を選んだのか

もう今年志望校だめなら、滑り止めの大学に行くしかない、ということで、浪人生は、滑り止めの大学についても学部等々真剣に考えるわけです。が、まったくイメージがわかない。何も浮かばない。どうしよう。受験に集中しすぎて、入学後のことなんて全く想像できない。

逡巡した結果「道具になりそうなものを習得すれば、やりたいこと見つかった時役立つんじゃね?」という安直な考えのもと、英語を学べる外国語大学を滑り止めにしたのでした。英語ができれば世界のどこでも行けそうだしな、というあっさりシンプルな理由です。

結局前期試験で落ちてしまったので、後期試験の当日になって初めて大学を訪れたのでした。浪人の滑り止めって絶対受かるところに願書を出すので、後期はあっさり合格。全然嬉しくなかった(笑)

めちゃくちゃ悔しいから、理由をつくることにした

志望校に行けなかっただけでなく、入学するまで見向きもしなかった大学の生徒になったわけです。これからは「神戸市外国語大学の」というのが自分の名前の前につくのです。浪人して入学する人が比較的少なく、クラスメイトがほとんど年下というのも精神的にきました。

現役で受かった同級生、悲願の逆転ホームランを飛ばした予備校仲間、その様子が嫌でも耳に入ってくるし、泣けてくる。入学してすぐはなかなか気持ちが切り替えられなかったのを覚えています。

今考えると超絶ダサい。腹くくれやって思う、ほんまに。そして、希望して大学に入った人もいるのに失礼だったと思います。態度に出ていなかったことだけを祈る…。(多分出てた)編入試験を受けることすら考えましたし、資料も取り寄せたりしていました。

少し経ったある日、突然ハッとしました。何のきっかけがあったわけでもなく、ただハッとしたんです。

「この大学に来たかったわけじゃない。来る理由なんてなかった。だったら後から理由を作ればいいじゃないか。ここであるべきだったと思える理由を作ろう。」

今でも不思議です。なにがそう思わせてくれたのでしょうか。

理由をつくるって何?

もし志望校に受かっとったら満足してもて大学で勉強してへんやろな、と思ったので、まずは授業を馬鹿がつくほど真面目に受けることに。遊んでる大学生にはならないぞ、ちゃんと学生やるぞと決意したのでした。

有難いことに、大学の規模が小さく(日本一小さい公立大学)、そして真面目な生徒が多くて、互いに目を配って互いの勉強の心配をしたり、フォローし合う環境がそこにはありました。本当にこのことには感謝しています。お陰で最後まで真面目な大学生で居られました。

そして、何より、外国語大学にきた理由を作らねばならんのです。元々の志望ではないわけですから、私にとってここの理由付けこそが最重要事項。

大学にはICCと呼ばれるコースがありました。インターナショナル コミュニケーション コースの略で、翻訳や通訳など、実践的な場面を想定した授業を行う選抜コースです。授業がキツ過ぎるとの噂でした。1年次の終わりに選考を受け、選ばれし10名程度だけが、2年次からスパルタ教育を受けるそう。

これしかないやん!
というわけで、ひとまずの目標をICCに入ることに設定。面接のためだけに英語研究部に入部して(ゆえに一年で辞めた)、活動を通して対策をしたり、実際のICCコースの先輩を捕まえて、情報を集めたりしたのでした。

神戸市外大ICCは本当に鬼だった

晴れて選抜に合格し、ICC生になったわけですが、 授業の緊張とプレッシャーで吐く大学生がいるとは知りませんでした。私のことです(笑)このコースでのあれこれは、別の機会でご紹介します。濃かった、濃すぎた。振り返るだけで胃のあたりがキリキリしてきます。

今でも思い出すのですが、2年次のはじめ、毎週火曜の昼休みは生きた心地がしなかったです。午後の、授業が、私を、待って、いるので。緊張で食事ができなかったほど、授業がつらかったです。(実際過呼吸になって運ばれる子がいたらしい。)

あれほど苦しい授業があるのかと、大学生で経験できてよかったと思います。仕送りがなかったのでバイトもしつつ、あとの時間の多くは授業の準備だったかと。

授業自体も厳しかったのですが、何より辛かったのが、他のコース生のレベルの高さ。帰国子女の方や、高校で国際科にいた方、幼少より英語を習ってきた方など…休み時間に英語で会話をしているのです、ナチュラルに。スタート地点が遥か上空のようです。

私は、英語を習ったこともなければ、高校も公立の普通科。場違いにもほどがある。そんな私が彼らとともに、ディベートや通訳の授業をうけるのですから、まぁ大変です。

悩んでも仕方ない。私にできるのは、腐らず、授業をまじめに受け続けること。途中でドロップアウトすることもできたのですが、なんとかICC生として卒業することができました。

アメリカ・ボストン語学留学 得たものは語学力だけじゃない

そして、外国語大学でなければ実現しなかったであろう、海外留学。海外経験の長い学友とともに過ごすなかで「英語を英語環境で学びたい」と強く思い始めました。ICCの授業での、疎外感や取り残された感覚が、一番の要因でした。このままだと胸張って「神外大でよかった」と言えない!と感じたのです。

高校生の時にダンス留学で2週間ほどニューヨークに滞在したことはありましたし、当時はダンスの修行のために、将来海外に行くことを決めていたのですが、まさか、舞台を去った数年後、勉強のために渡米することになるなんて思ってもみなかったです。

英語の環境に飛び込むわけですから、英語を存分に学ぶことができ、留学に送り出してくれた両親には感謝しています。(留学中の勉強法についての記事もぜひ)

そして留学で得た一番の収穫は、あらゆる国・地域から集まった学生たちと生活をともにできたこと

みんなそれぞれに常識が違う人たちと一緒に過ごすのですから、すれ違うこともあるし、なんとなく空気を読んで合わせるなんて出来なくて、話し合うことも多々ありました。当たり前ってなんだろう、と考えるきっかけにもなりました。

まずはお互いにリスペクトの気持ちを持つこと、そして持つだけではまだ足りなくて、きちんと言葉でお伝えして自分の気持ちを知ってもらうこと。それと同時に言葉以外でも、肌感覚で感じ取ろうとすることも大事。言葉に現れないこともありますから。

学生時代に海外であらゆる文化に揉まれたことにより、どんな場面でも堂々と振る舞えるようになったと思いますし、これからの国際社会で大切な心の持ち方を教えてもらえたと思っています。

受験に落ちて得たもの

確かに、志望校に受かっていたらと考えると、人生違っていたと思います。タラレバなんてあり得ないのですが、ネームバリューは確実にあったでしょう。神戸市外国語大学とお伝えして、分かってもらえたことなんてほとんどありませんから(笑)

受験に落ちたからこそ、
・大学での勉強をまじめに頑張れた
・海外留学に行こうと思えた
・英語でコミュニケーションが取れるようになった
・留学を通してあらゆる国・地域の文化や習慣とともに生活できた
・留学がきっかけで被写体活動をスタートできた
・一人暮らしが学生のうちからできた

他にもたくさんの経験を得ました。悔しい思いが私を動かしていました。前向きな理由の方が望ましいのかもしれません。でも私は、そればかりでなくてもいいと思います。

追い立てられるように駆けた学生時代が、今では少し愛おしくなっています。

HANAE